4/28(土)衝撃のロードショー!!! 新宿K's cinema

Introduction

Introduction

あの頃は「ブラック」だった。黒いアメリカの最も熱い季節。

はじめは、当の黒人たちも「なんのこっちゃ」という感じだったらしい。
「ブラック」という呼称のことだ。
本国アメリカではさりげなく忌避され「アフリカン・アメリカン」というタームに道を譲っている「ブラック」という表現だが、我々日本人にとっても、世界各国の皆さんにとっても、アメリカ黒人をブラックと呼ぶのは、まだまだごく普通のことだ。イギリス人も使っているようだし。それほどに根づいている呼び方である。

しかし、吉田ルイ子先生の著書『ハーレムの熱い日々』を読むと・・・・・・60年代のニューヨーク、黒人街ハーレムでは「え? ブラックって、俺たちのこと?」という感じだったとか。なぜって、それまでは「カラード」と「ニグロ」だったから。
ニグロは、ラテン語で黒の意味。一方、カラードとは文字通りに解釈するなら「有色人種」だが、字面に騙されてはいけない(英語は「便所」のことを「風呂」と表現する言語だぜ)。実際には、米語のカラードは黒人のこと。婉曲表現だ。婉曲されたのは、「ニグロっていう言い方はあまりに可哀想だよなあ」という白人の皆さんによる優しい配慮ゆえ、か。ありがたいことですねえ。
こうした古い呼称が暗示する「飼いならされた、従順で、哀れな黒人」像に反発し、誇りをもってブラックと自称し始めた60年代前半。それに続く、60年代後半からの葛藤の数年間。それを描いたのが本作だ。

本作は、誠実で真摯なドキュメンタリーに違いない。だが同時に、見る者を楽しませてくれるエンタテインメントでもある。それは主に、登場する人物たちの語りの巧みさによるものだ。
大統領選であれプロレスであれ、アメリカで肝心なのは弁舌。だからこそバラク・フセイン・オバマは国のヘッドとなり、ザ・ロックことドゥエイン・ジョンソンはトップレスラーに登り詰め、俳優に転身した。
その意味では、本作も千両役者たちのオンパレードだ。独自のヴィブラートで空気をも揺さぶるようなマーティン・ルーサー・キング。「寸鉄、人を刺す」を体現するマルコム・X。誰よりも大きいアフロで視線を捉え、知性で心を捉えるアンジェラ・デイヴィス。そして、シニシズムと真剣さが拮抗するストークリー・カーマイケル。
特に、(少なくとも日本においては)知られていない存在だったストークリー・カーマイケルとアンジェラ・デイヴィスにスポットをあてたことは、本作の見どころかも知れない。

ブラックパワーは、もう死語に近い。

史上初の黒人大統領が二期目の政権に向けて動いている今。ハッキリと人種・民族別だった居住状況が、だんだんと融和に向かっている今。黒人の社会的地位も――まあ、ある程度は――向上した今。
もはや米国内の「中堅どころ」に近い存在となったアメリカ黒人にとっては、コブシを突き上げ「パワー!」と叫んでいた熱い時代は、遠い風景になりつつある。

そもそも、アメリカ合衆国において、彼らが自他ともに公私両面で「ブラック」だった時期は、振り返ってみると案外短かったのだ。でも、それはアメリカ黒人史で最も熱い何十年かではあった。
本作で1時間半にわたって描かれるのは、その中でもホッテストな時期。永遠に色褪せることがない、鮮烈な記憶である。

文/丸屋九兵衛(bmr編集部)

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Story

Story

60年代後半から70年代。
米国でアフリカ系アメリカ人によるブラックパワー運動が勃興し、衰退に至るまでの激動の時代。
スウェーデンのテレビ局のカメラは海を越え米国に渡り、世界に衝撃を与えたその運動の核心に迫っていく。 伝説となる革新者たちが現れ、そして消え去っていった時代。残されたフィルムは何を語るのか。

スウェーデンにはアメリカの公民権運動の歴史的フィルムが眠っている―。その噂は本当だった。
偶然、テレビ局のフィルム倉庫に眠っていたそれらの映像を発見したディレクター、ヨーラン・ヒューゴ・オルソンは、先人が残したその貴重な映像をかき集め、その歴史を年代ごとに丁寧に紡ぎ、一本のドキュメンタリー作品として現代に蘇らせた。

そこに映し出されていたのは、自由と平等を求め、権力に立ち向かった多くのアフリカ系アメリカ人たちの姿。
その迫真の映像は未来が見えず、閉塞感に充ちた現代を撃つ。

オルソンは、現代のアメリカにおいて、様々な分野で活躍するアフリカ系アメリカ人にこの映像を観てもらい、コメンタリーを収集。
彼らが語るのは、現代もなお色濃く残るアメリカの光と影。国によって徹底的に歪曲または隠滅させられていた、ブラックパワー運動の真実の姿だったー。

キング牧師、マルコムX、アンジェラ・デイヴィス、ストークリー・カーマイケル・・・etc.
真の自由を求めた歴史上の革新者らの声と映像が蘇り、現代アメリカを生きるアフリカ系アメリカ人が過去と現在のアメリカの“隠された闇”を語る。異色の衝撃作が遂に、本邦公開!!!

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Cast

マーティン・ルーサー・キング

■マーティン・ルーサー・キング(1929~1968)
Martin Luther King, Jr.

マルコムXと共に、50~60年代を代表する黒人活動家として知られる、ノーベル平和賞受賞者。攻撃的なマルコムに対し、ガンジーに影響された非暴力主義を貫く抵抗戦術で、黒人公民権運動をリードした。
同名の父親のあとを継ぎ、ジョージア州アトランタで牧師をやっていたが、バス内で「白人専用席」に座った黒人女性が逮捕された事件に抗議して、バス・ボイコット運動を指導。その後は牧師業のかたわら全米各地に出没して、公民権運動を指揮することになる。
有名な“I Have a Dream”を経て、1964年には公民権法が成立し、法律上の差別が撤廃されることになる。その後、ベトナム反戦運動等で活動する中、白人に暗殺される。
アメリカでは、キングの誕生日を記念して、1月の第3月曜日が祝日に制定されている。

マルコムX

■マルコムX(1925~1965)
Malcolm X
 ※ムスリム名=エル・ハジ・マリク・エル・シャバズ
マーティン・ルーサー・キングと並ぶ、最強の黒人活動家。真摯、攻撃的、雄弁・饒舌な革命家として知られる。
少年時代は成績優秀な常連学級委員だったが、白人教師に弁護士志望を打ち明けたところ「黒人には無理。手先が器用なんだから、大工になれ」と言われグレる。その後、白人女性相手の黒人売春夫軍団に加盟しようとするが「色が白過ぎる」と断られ、さらに屈折する。やがて(ご多分に漏れず、頭皮が焼けるような思いをしてかけた)ストレートパーマヘア姿で悪名高いハスラー in ハーレムとなるが、強盗容疑で逮捕。刑務所内でイスラム教に改宗、勉学の道にも復帰してムショ内図書館の本を読みあさる。そのおかげで視力が低下し、メガネをトレードマークとすることになる。
6年半のオツトメ後、黒人イスラム教団「ネイション・オブ・イスラム」で活動を開始。「出生名のマルコム・リトルは奴隷名だ」としてマルコムXに改め、抜きん出た知性と巧みな弁舌で注目されることになる。だが、やがて教団代表と決裂。その後、メッカ巡礼を経て、よりワールドワイドなイスラム教の真髄に目覚め、ネクスト・レベルに進まんとした矢先、旧・教団の刺客が放った凶弾に倒れる。死に際して彼を抱き止めたのが、彼を師と仰ぐ日系アメリカ人活動家のユリ・コチヤマだったことはあまり知られていない。

ストークリー・カーマイケル

■ストークリー・カーマイケル(1941~1998)
Stokely Carmichael (aka Kwame Ture)

マルコムと比べると16歳、キングと比べて12歳下。ハンサムなカーマイケルは、公民権運動のネクスト・ジェネレーションとして登場した。彼こそは、「ブラックパワー」というスローガンを有名にした立役者だ。
ワシントンDCの名門黒人校ハワード大学に入り、後に『青い眼が欲しい』『ビラヴド』等の著作で知られることになるトニ・モリスンに師事したりもする・・・・・・が、勉学自体よりも、持ち前のラジカルな弁舌と強い指導力により、Student Nonviolent Coordinating Committee(学生非暴力調整委員会)のリーダーとして脚光を浴びることになる。
学生非暴力調整委員会の議長を辞した後、ブラックパンサー党の「名誉首相」に就任するも、やがてラジカル白人と共闘路線を歩まんとするブラックパンサーの主流派と対立するようになり、ギニア滞在中に決別を宣言。ついでに「クワメ・トゥーレ」と改名(するが、旧名も通用)、その後はギニアを本拠地として活動することになる。
50代で前立腺ガンを発病。最後まで「FBIによる陰謀」を訴えながら、57歳で死去した。

最後に、彼のヒネったユーモアを感じさせる名言を。「わたしには人権がある。わたしはそれを知っている。でも白人は知らない。だから、それを白人に教えてあげるために作られたのが公民権法だ」。

アンジェラ・デイヴィス

■アンジェラ・デイヴィス(1944~)
Angela Davis

いま振り返ると奇妙に聞こえるかもしれないが、1960年代は黒人たちが「アフロヘアを獲得した時代」でもあった。それまでは、イキな髪型とはすなわちストレートパーマ。ハスラー時代のマルコムXがそうだったように、尖った黒人の若者たちは頭皮が焼けるような思いをしながら、強力な縮毛矯正に挑んでいたのである。だが彼らが「ニグロ」「カラード」から「ブラック」に脱皮し、アフリカ志向を強めていくのとほぼ時を同じくして、髪型もアフリカ化したのだった。
そんな時代背景を背負って出てきた、戦うアフロ・ヒロイン。それがアンジェラ・デイヴィスだ。彼女の両親は、共に大卒で教職経験もあり、しかもかなり左寄り。そんな両親のもとで育った彼女は、やはり左翼なインテリ闘士となった。60年代末から、人種差別、性差別、ゲイ差別、帝国主義、ヴェトナム戦争への反対を主張。先ほどから触れている通りの特徴的なアフロヘアと相まって時代の象徴となり、ローリング・ストーンズが彼女に捧げる曲“Sweet Black Angel”を作ったりもした。
アメリカ共産党の党員であるがゆえに、当時のカリフォルニア州知事ロナルド・レーガンに教員職から追放されたこともある(その後、名誉回復)。また、殺人容疑で逮捕・投獄もされたりもしが、その経験から「刑務所とは奴隷産業を現代化したようなビジネス」とアメリカの法制度を批判。教職も含め、現在も盛んに活動している。

※【ブラックパンサー党】
1966年に結成され、1970年代にかけてアメリカで黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織。都市部の貧しい黒人が居住するゲットーを警官から自衛するために結成された。共産主義と民族主義を標榜しており、革命による黒人解放を提唱し、アフリカ系アメリカ人に対し武装蜂起を呼びかけた。また、貧困層の児童に対する無料の食事配給や、治療費が無料の「人民病院」の建設を行った。日本では、かつて新聞などで「黒豹党」と呼ばれることが多かった。

■エリカ・バドゥ(1971~)
Erykah Badu

1997年のデビュー・アルバム『Baduizm』で脚光を浴びたネオ・ソウルの個性派歌姫。アーティストとしては寡作だが、「エリカ巻き」やスキンヘッドなどの強烈な髪型等のファッションに加え、確固たる主張と奔放な行動が合体したキャラクターとして認知されている。

■タリブ・クウェリ(1975~)
Talib Kweli

両親ともに学者というアカデミックな環境に生まれ育ち、社会意識あふれる歌詞で知られる知性派ラッパー。「ブラック・スター」「リフレクション・エターナル」等のユニットでも活躍。

■ボビー・シール(1936~)
Bobby Seale

軍隊経験の後で大学に入り、そこでヒューイ・ニュートンと出会ってブラックパンサーを結成した男。暴動を誘発したかどで捕らえられるも(ぬれぎぬだったので)怒って裁判所で暴れ、その結果、裁判中に縛り上げられた・・・・・・という武勇談もある。
出所後はオークランド市長に立候補し、かなりの票を得たことも(結果は次点)。最近では料理本を出版したり、アイスクリームの宣伝をしたり、より親しみやすい(?)活動に勤しんでいる。

■エルドリッジ・クリーヴァー(1935~1998)
Eldridge Cleaver

凶悪犯としてオツトメ中に、名エッセイ集『氷の上の魂』を著す。出所後はブラックパンサー党に加入、文筆の面で才能を発揮し「情報相」となる。ヒューイ・ニュートンより過激な武装蜂起を提案していたくせに、70年代半ば以降はなんと統一教会やモルモン教に入信して、かつての支持者から非難ゴウゴウを浴びる。その後は、保守派の共和党員となったのにコカインに手を出したりしているうちに死去。

■ハリー・ベラフォンテ(1927~)
Harry Belafonte

ジャマイカとマルチニークの血を引くカリブ系のアメリカ黒人、ベラフォンテ。その出自どおりカリビアンなフレイバーの音楽を世界で流行らせたシンガー(兼アクター)にして、毒舌活動家でもある。
1956年に発表した曲“Day-O (Banana Boat Song)”は、夜勤のバナナ運搬労働者が朝日を見て感じる「家に帰りたい」という心情を、なぜか朗らかに歌い上げたもの。これが世界的な大ヒットとなり、日本でも「今月ぁ足りない、借りねばならぬ」という替え歌が流行。また、同曲を収録したアルバム『Calypso』は、たぶん人類史上初めてのミリオンセラー・アルバムとなっている。
また、“We Are The World”のUSA・フォー・アフリカの提唱者なのだが、その事実は今ひとつ知られていない。
柔和でハンサムな容貌のわりに、ハードな活動家(もちろん左寄り)。キューバのカストロを讃えて、「赤狩り」の対象になったこともある。ブッシュ政権時代には、黒人閣僚(パウエルとかライスとか)を「ご主人様に仕える奴隷」と形容して問題になった。

■ヒューイ・P・ニュートン(1942~1989)
Huey P. Newton

ボビー・シールと共にブラックパンサー党を設立した男。
高校を出たにもかかわらず当初は読み書きができないに等しかったが、プラトンの『国家』を読むことでそれを克服。また、その内容に刺激されて政治について考えるようになる。やがて大学に進むが、その学費は泥棒稼業でまかなっていたという。その大学時代に、マルクス、レーニン、毛沢東、ゲバラ、フランツ・ファノンらに影響された結果、宗教的要素を排除した黒人左翼団体としてブラックパンサーを結成。警官に射たれるもカージャックして逃亡するなど波乱万丈の人生をおくるが、因縁のある監獄系黒人ギャング団体に射殺される。だが死の直前、「俺の体は殺せても、魂は殺せない」と言い残したという。

■クエストラヴ(1971~)
Questlove

コンシャスな主張と、実験的な音楽性をあわせもつヒップホップ・バンド「ザ・ルーツ」のドラマー。ソウルやファンクと、ヒップホップをつなぐ凄腕プロデューサーとしても知られる。

解説/丸屋九兵衛(bmr編集部)

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Staf

ヨーラン・ヒューゴ・オルソン

監督 ■ヨーラン・ヒューゴ・オルソン(1965- )
Göran Hugo Olsson

スウェーデン・ルンド出身。
ストックホルム大学で映像制作を学び、制作会社STORY ABを設立。
現在はドキュメンタリー作家としてカメラ片手に世界中を飛び回っている。
本作でサンダンス映画祭2011・ワールドドキュメンタリー編集賞を受賞。
本作品はその後も世界各国の映画祭にて公式上映され、世界的にその名を一躍知らしめた。

ダニー・グローヴァー

製作 ■ダニー・グローヴァー(1946- )
Danny Glover

カリフォルニア州サンフランシスコ出身。
1979年に映画『アルカトラズからの脱出』で俳優デビュー。
1984年に『プレイス・イン・ザ・ハート』の農夫を演じて以降、『カラーパープル』『刑事ジョンブック/目撃者』『シルバラード』など映画でのキャリアを積み、1987年の『リーサル・ウェポン』で一躍ハリウッド・スターの仲間入りを果たした。現在、ハリウッドで最も活躍している黒人俳優の一人である。最近は社会活動にも力をいれており、本作のプロデューサーとして名乗りをあげた。

クエストラヴ

音楽 ■クエストラヴ(1971- )
Questlove

アメリカのヒップホップグループ「ザ・ルーツ」のドラマー。
別名アミール"クエストラヴ"トンプソン。
ヒップホップ・シーンだけではなく、現在の音楽界を担う存在であり、ドラマー、DJ、そしてプロデューサーとしても絶対的な信頼を集めている。トータル4枚のアルバムがビルボード・トップ10入りを果たし、『シングス・フォール・アパート』(1999年)と『フリノロジー』(2002年)はゴールド盤認定。グラミー賞でも6回ノミネートされ、エリカ・バドゥをfeat.した『ユー・ガット・ミー』ではグラミー賞を受賞。
本作では「Sa-Ra」のオンマス・キースとともに音楽を担当している。

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