introduction

D.C.で生まれたDIYパンク・スピリットは、30年経った今なお若者が抱える不安、コミュニティの持つ影響力、そして信念が持つ強さを伝え続ける。

過激ゆえにメジャーの音楽業界が介入してこなかったハードコアと呼ばれる80年代の米国のパンクは、アンダーグラウンドのローカル・シーンだっただけに地域ごとにカラーがあってDIYで進められていた。そんな状況が凝縮されていたのが米国東海岸のDCシーンである。政府を抱えた米国の首都で小さな特区というシチュエーションが反映されたDCでは世界に類を見ない特異なパンク・シーンが育まれ、様々な点でパンクのイメージを塗り替えた。

 まず音楽が革新的だった。黒人4人組のBAD BRAINSがパンク・ロックのネクスト・レベルのハードコア・パンクをシーンに叩きつけたのだ。80年にニューヨークに拠点を移してからレゲエとの“二刀流”になったが、DC時代に創造したグルーヴィかつエモーショナルなパンク・チューンは初期DCハードコアだけでなく、ブラック・ミュージックからの影響も取り入れたポスト・ハードコア以降のDCサウンドにも直結している。

 70年代末のBAD BRAINSの出現がDCのパンク・シーンを切り開き、80年代に入ってからハードコアな新しいパンク・バンドが続々と頭角を現してきた。DCのハードコア・パンクは同時代の方の地域のバンドより速い前のめりのサウンドで、アメリカン・ハードコアのスタイルの一つになる。

 DCシーンのパンク・スピリットはパンクの肝であるDIYを突き詰めた。既成の音楽ビジネスが新興パンク勢力を相手にしてない時代でもあり、すべて自分でやらなければ始まらない。そんな中でDCは都会の小さな“街”だけに、圧倒的な少数派だった80年代初頭のパンク・バンドたちは仲間意識が高く、強固なローカル・シーンができあがる。

 歌や演奏のテクニックを気にせずバンドを始めること自体がDIYな行動の一つだが、ライヴもブッキングも自分らでセッティングしなければ進まない。もちろん作品のリリースも同様で、狭い地域ゆえに初期DCシーンは一つのインディ・レーベルが仕切ることになった。80年の設立当時にDCシーンの中核バンドのMINOR THREATに在籍したイアン・マッケイとジェフ・ネルソンが運営する、ディスコード・レコードだ。パンクらしく粗削りの録音のままレコードに刻み、当初はジャケットを糊で組み立てるのも手作業で行ない、安価でファンに提供してきている。企業のスポンサー無しのリアル・インディペンデント・レーベルだけに、当初政治的な意図がなかったとしても既存のシステムや権威に対するアンチになり、オルタナティヴなアクションを行動で示したことになる。

 DIYはすべてが自分次第ということでもある。革命はまずは自己改革からであり、そんな根源的DIYスピリットの一つの極端な形が、ストレート・エッジと呼ばれるライフ・スタイルだ。“禁煙(禁ドラッグ)”“禁酒”“禁カジュアル・セックス”を謳い、イアン・マッケイがMINOR THREAT時代に「Straight Edge」や「Out Of Step」で歌った個人的な生活様式だが、期せずしてまもなく一つの思想になって色々と尾ひれが付きながら他の地域に広がっていった。DCシーンのすべてではないが、ロック伝統の破滅的アティテュードの“セックス、ドラッグ、ロックンロール”に敢然と中指を突き立てた、DCシーンを象徴する挑戦的な姿勢であることは間違いない。伝統に対する反逆がパンクやロックであるならばまさにパンクやロックな在り方であり、これまたオルタナティヴなアプローチである。

 DCハードコアをリードしてきたそんなMINOR THREATの83年の解散はシーンの節目だった。ストレートに走るハードコア・パンク・スタイルが多様なポスト・ハードコアに移行していく決定的な“事件”だが、音楽的な変遷は内面の変化を反映している。より豊かな感情表現をすべく切ないメロディと多彩なリズムを取り入れたポスト・ハードコアは、FUGAZIをはじめとして当時者のほとんどは肯定的に受け止めないジャンル名のエモ(エモコア)とも呼ばれていく。ハードコア・パンク経験者がメンバーを入れ替え合ってポスト・ハードコア・アプローチのバンドを始めるケースが多かったが、色々と経験してきて突っ走るだけの単純な反逆で済ますことを潔しとしないDCシーンの進化であった。

 バンドがポスト・ハードコアへと移行する動きと共振した85年夏のムーヴメントの“レヴォリューション・サマー”は、DCシーンの分岐点になる。そこではあらためて暴力の問題もクローズアップされた。“腕力”がすべてを支配する米国に根深いマッチョ・アティテュードへの妥協無き反撃の一環である。

 同時代の英国のパンク・ファッションほど派手ではなかったと思われるが、特に稀少だった80年前後DCのパンクスは街中で目をつけられてボコられたという。それ以上に深刻だったのはライヴ中の“ヴァイオレンス”で、ライヴを観て興奮した自然なノリがあるとしても、屈強な体をぶつけてくるスラムダンスやダイヴも問題視。とばっちりで半身不随になる例もあるからとはいえ、こういうことを議論して注意を促すところがDCシーンならではとも言える。この映画の時期からはやや外れるが、93年にFUGAZIが行なった2度目の来日時の東京公演で、米国海兵隊員と思しき屈強な男性がムチャなノリをしていたのをイアン・マッケイが血相を変えてステージから注意していたことも思い出す。

 米国政府のおひざ元での政治との関わり方も興味深い。80年代のUSパンク/ハードコア全般がそうであったように、もともとDCシーンには英国のCRASSやDISCHARGEのようにストレートな歌詞のポリティカル・バンドはほとんどいなかった。伝統的なレベル・ミュージックの方法論をなぞることなく、ネクスト・レベルの“反逆”を実践した一環と言える。でもシーンには知的に政治意識の高い人が多く、他の国のようにリベラルな政治イベントとライヴを組み合わせた催しが行なわれ、人種差別や性差別の問題も取り扱われていた。狭い地域にもかかわらずDCのパンク・シーンでは黒人や日系、女性(BAD BRAINS、SCREAM、SWIZ、FIRE PARTY、MARGINAL MAN、JAWBOXなど)を含むバンドが常に活動していたことも特筆したい。

 80年代の米国のパンク/ハードコア・シーンの動きは90年代のオルタナティヴ・ロックの源流だが、精神性も含めてその流れが最もピュアな形で見えてくるのがDCだ。他の地域のパンク/ハードコア・シーンとは違って80年代半ばにヘヴィ・メタルが混入することはなく、オルタナティヴ・ロックにつながる柔軟なポスト・ハードコアにほぼシーン全体が移行した特異な地だったからである。

 その象徴が、NIRVANA加入直前に在籍してハードコア・パンクから進化していく後期のSCREAMでドラムを叩いたデイヴ・グロール(現FOO FIGHTERS)で、アンダーグラウンドもメインストリームも体験してきている彼ならではの的を射た発言が映画の中でも光る。DCシーンのDIYな活動が硬直した既存の米国の音楽業界の土壌をゆっくりとやわらかくし、91年のNIRVANAのブレイクにつながったというのも過言ではない。その橋渡しになったバンドがSONIC YOUTHで、リーダーだったサーストン・ムーアはDCシーンに対して理解が深く、外部の人間ならではのユニークな視点の発言は映画のいいアクセントだ。ちなみにSONIC YOUTHの92年『Dirty』には、イアン・マッケイの弟がやっていたUNTOUCHABLESのカヴァーと、当時FUGAZIのイアンがギターを弾いた「Youth Against Fascism」を収めている。

 有名無名問わず80年代のDCのパンク・シーンに関わったほぼすべてのバンドのメンバーが最低一人は出演して証言し、バンド以外の関係者も話を加えた映画である。ただし個々のバンドのキャラや音楽性や活動より、当時のDCの街の社会的/政治的状況に言及しながらシーンの流れや特徴、現象、意識、姿勢を様々な角度から検証している。

 『Salad Days』はスキャンダラスな話がほとんどないのがパンクとして以前に音楽ドキュメンタリー映画としても極めて異例だ。不良自慢みたいなネタとはほぼ無縁なのが、基本的に様々な意味で“クリーン”なDCシーンらしい。基本的な反抗精神をキープしつつインテリジェンスに富み、ニヒリスティックなパンクの価値観に抵触する良識の精神性の源泉も滲む。たとえば当時のUSハードコア・パンク・バンドは家庭問題などがよく表現のモチーフになっていたが、DCシーンのバンドの平均的な家庭環境を知ると他の地とは違う特異な部分がまた一つ見えてくる。

 DCの友達のバンド以外リリースしないディスコード・レコードが象徴するように、地元へのこだわりの強さと結束の固さも伝わってくる映画だ。MINOR THREATやFUGAZIのようにツアーをしたバンドも多いし排他的でも閉鎖的でもないが、DCシーンは他の地域よりもコミュニティ意識が強かった。映画の中の登場人物でDCシーンに直接関係してないバンドマンは、前述のサーストン・ムーアの他にJ・マスシス(DINOSAUR JR他)とティム・カー(BIG BOYS他)ぐらいだ。外部の意見をほとんど入れず出演者をDC内の人間で固めたことにより、外部のシーンの人間が容易に交わることができないDCシーンの“純潔性”も感じ取ることができる。

 もちろんDCシーンも考え方が一つではない。ストレート・エッジをはじめとする節度をわきまえた生活態度や、政治性を打ち出したライヴ企画などの生真面目な姿勢に対して距離を置く、VOIDやBLACK MARKET BABYなどのバンドも混じっていた。映画ではそういった仲間うちの歪みや軋みも伝えている。ディスコード・レコードもだてに“DISCHORD”と名乗っていない(ちなみにその綴りは、不協和音を意味する“discord”をあえてdis+chord[感情/和音]にして変形させた造語と思われる)。

 『Salad Days』がストイックにまとめられているのはDCシーンのリアルな空気感を真空パックしているからだ。堅く、硬く、固い映画である。でも、そもそもハードコアはそういうものだ。“Salad Days”というフレーズはMINOR THREATがポスト・ハードコアの方向性を見せた末期の曲のタイトルでもある。“無経験な青二才の時代/若くて経験の乏しい時期/世間知らずの若い頃”といった意味の言葉だが、若々しい緑をイメージさせながら未熟な青年期を表していてDCパンクにふさわしい。けどそもそも“punk”って“青二才/若造”のことなのである。

解説 文:行川和彦(音楽評論家)